2014年2月5日
Lamp 7thアルバム『ゆめ』リリース



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作曲家の精神たるもの

今日は、「作曲家の精神たるもの」というタイトルで少し書いてみます。

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生半可な気持ちで作曲に取り組んでも良い曲は一向に作れません。

本格的な作曲を志すならば、それなりの精神の持ち方があり、それが結果にとって重要なのは言うまでもありません。
精神性は作品にあらゆる形で反映されます。


誰かの音楽に甚く感動して、その者に畏敬の念を払う、
そのこと自体はそれで構いません。

構わないのですが、そこで止まってしまっては、己の成長はないのです。


その相手がどんなに偉大な人物であっても、畏敬の念を払うと同時に自分の作曲のライバルだとも思わなければなりません。

それが、スティーヴィー・ワンダーだろうと、ジョビンだろうと、トニーニョ・オルタだろうと、ピッチオーニだろうと、ブライアン・ウィルソンだろうと、です。


はじめから気持ちで負けていては駄目だということです。
ライバルは手強い方が自分自身が一層鍛えられますし、そうやって果敢に牙を剥いて行った方が為になります。
「誰にも負けるものか」と内なる闘志を燃やしたところで、誰かを傷つけるわけではありませんし。


最初は、人真似で良いと思います。
良いところ、好きなところはどんどん盗んでいけば良いと思います。
盗むというと人聞き悪いですが、やる作業は音を自分が理解できる形にして、構築・体系化し、自分なりに再構築するのです。

人真似から始まって、そこから自分なりに前進させる。その為には何が必要か自分の頭で考えていく。そうすればいつか何か掴めるかもしれません。

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実際、音楽を作るときは、こんなことは忘れて作業に集中していますが、
普段の心得として書いてみました。

| song writing | 02:25 | - | - |
作曲の感性を磨く方法
作曲の感性を磨く方法の一つに、「恋人や友人などに何かのベスト盤を作成してみる」というのがあると思います。
実はこれはかなり有効じゃないかと思っています。


毎日、「この音楽良いなぁ」「これも良いなぁ」などと聴き流したままだと、情報が右から左へ流れるだけで、自分の中で処理できないままになってしまいます。

そこで、改めてその音楽やアーティストに正面から向き合う機会(時間)を自ら作るのです。


今は、音楽なんかもデータを送れてしまう時代だから、トータルの時間や曲数なんかは気にしなくて良いだろうけど、そのやり方は「作曲の感性を磨く」という意味ではあまりお薦め出来ません。
感性を磨くには縛りは必要なんですね。
全曲はずれなしの名盤なんかだとデータでアルバム丸投げしたくもなりますが、それは良くないですね。

そういう意味で、データよりテープやCDRの方が良いわけです。
テープやCDRは並び順なんかにも神経を配らなくてはならないしね。
テープだと聴きながら録音して、曲間まで自分で決めたり音圧が気になってやり直したり、残りちょっとの所に2分くらいの短い曲探して一応入れたり、ああもう色々面倒なんだけど愛すべき作業があったなぁ。


話しを戻しまして、
そういう縛りを設けることで、この曲とこの曲どっちが良いかななどと、自分の視点で彼や彼女のことを思いながら、作ることになるわけです。

ある特定のアーティストのベストなんかでも良いし、自分監修のコンピまたはミックステープとして、70年代のみとか、シンガーソングライターのみとか、60年代非欧米サイケのみなど、色んな縛りを設けるのもまた良い。
まあそこは相手あってのことだから、ある程度相手に合わせてあげる必要があるでしょう。

そういう点で、アーティストが決まっていない場合等は、まずはテーマかタイトルが出てくると良いですね。



結果的に、そのベスト盤が主観に満ちたものになるのは気にする必要はありません。
自分の好きな感覚を自分で捉えなおすことが出来るんですから。

これは、一度や二度ではなく、頻繁に行うことが重要かなと思います。


以上のことは、
当たり前と言えば当たり前ですが、
良い音楽を相手に届けるということ。
その気持ちを持つこと。
これって音楽を作る身として、基本ですよね。


実際僕は「自分の感性を磨く」目的で人に染谷セレクトベストをあげてきたわけではありませんが、振り返るとこの作業ってかなり意味があったなと思うわけです。
| song writing | 00:06 | - | - |
どんなHow Deep Is Your Loveでも感動できる

メロディーとコードさえ「How Deep Is Your Love」ならば、誰のどんな「How Deep Is Your Love」でも、どんなに安いラジカセで聴こえてくる「How Deep Is Your Love」でも、感動できるだろうなぁなんて思います。

何が言いたいのかといいますと、
音楽が聴こえてくる形で一番重要なのは、作曲であり、演奏や編曲や音質などは、作曲に比べ重要度が低いと思うんです。

僕がいう作曲とは、メロディーとコードを決め、大体の曲構成を決める作業です。

イメージでいうと、
作曲が音楽の9割くらいを決定づけ、
曲を作った後は、残りの1割くらいを良くする為に作業する感じかなと思います。

といいましても、その残りの1割くらいの作業に、ものすごい時間と体力・根気を費やすわけですけど。


| song writing | 22:41 | - | - |
ノスタルジア
「ノスタルジア」は、過去を懐かしむことであり、現在の芸術においては、まったく前進がないものとして、語られることが多いのですが、
僕は、むしろ、「ノスタルジア」こそ、前進への門(第一歩)であると思います。

僕等は、しばしば、音楽の中に「ノスタルジア」を見つけ、それに心を動かされます。
「ノスタルジア」に出逢ったとき、音楽をはじめとする芸術の核はそこにあるようにさえ感じます。

話しを逆から進めると、
我々が「未知」の何かに挑むとき、それ自体が行為者にとってまさに「未知」であり、ましてやそれが芸術であるかどうかなんて事は知りえないのです。その行為こそが芸術だという言い方があるかもしれませんが、それがあまりにも非現実的過ぎると思うのは、以下の通りです。
「新しさ」というのを文字の通りに捉えるならば(既知の何かの「組み合わせ」ではなく、真に新しいものを追求すること)、
『常に真に「新しい」ものを欲する行為者』にとって「新しい」ものは常に「未知」のもので然るべきで、よって、その創作行為の先にあるものは常に「未知」であり、その結果得たものが、偶然、「新しい」ものであったりなかったり、ということが繰り返されているはず、なのです。
このことから、『「新しい」ものを作るのが巧い』というのは誰かの勘違いか幻想か何かだと思うのです。
なぜなら、『常に真に「新しい」ものを欲する行為者』は、その手段を知りえないからです。そこに手段はないのです。
(芸術が「未知」に挑む何かとして語られるときの嘘っぽさ、胡散臭さはそこにあるような気がします)。

多くの場合の、さも「未知」の何かとの格闘の末、生まれたもののように語られるその虚栄は何なんでしょう。芸術のあるべき姿を皆で作り上げているのでしょうか。間違った当たり前が安易に罷り通っていて怖いですね。

真に新しいものを目指す行為は破壊行為に近いと言えましょう。そこには秩序はありません。
そして、人間は秩序がないものについて考えるのが非常に苦手です。秩序があって初めて理解があると言っても過言ではないと思います。
秩序付けの行為は、私たち生物が、生存のために身に付けたもっとも基本的な能力だと思うのです。混沌とした自然界を、私たちヒトは、言葉など意識的なものや無意識的な感覚、ありとあらゆる形で秩序付けて来ました。

「新しさ」というのを、別の面から(100%としてではなく、1〜99%の間で)捉えた場合、感じる「新しさ」は常に既存のものと既存のものとの「組み合わせ」で成り立っていると言えます。それについては以前書いた気がしますし、とにかく今日は置いておきます。

我々が知っているものは、すべて過去の体験の中にあり、それは時に「ノスタルジア」として、我々の心に強く響き、それは創作意欲・創作技術の一部となりえると思うのです。
各人それぞれが、少しずつ違う、或いは、全く別の「ノスタルジア」を持っていて、それを追求し掴もうとする行為、そこに芸術の一つの在り方があるように思えます。
少なくとも僕にとってそのことは「ものを創作する動機」となっています。

創作者は、決して「模倣」から逃れられず、また「模倣」に溺れることも出来ずに苦しんでいるのだと思います。

僕が何を言いたかったかと言いますと、
音楽聴いて、漫画を読んで、
「とても切ないです」と言いたかったのです。
| song writing | 03:30 | - | - |
メロディー・アンド・ハーモニー
僕らの中で、「曲を作る」ということは、「メロディーとハーモニーを作る」ことで、その二つのどちらかが欠けた状態の音楽を、曲とは考えていません。
音楽を形成する「メロディー(主旋律)」、「ハーモニー(和声・和音)」、「リズム」の3大要素のうち、「リズム」に関しては、それがない状態の音楽でも、曲と呼びます。

音楽で一番重要なポイントは「メロディー」と「ハーモニー」であり、乱暴に言ってしまえば、それ以外のあらゆる要素は、それらに比べればどうでもいいというのが、僕らの考えです。

ただ、音楽をやる以上、その2つの要素以外のことにも神経を配る必要は大いにあります。

僕らでは、「メロディー」と「ハーモニー」の2つの要素が決まってから曲が完成するまでにやる作業は、全て「アレンジ(編曲)」ということになります。

音楽には色々な種類のものがありますし、どの音楽も様々な要素が同時に混ざり合って存在するので、音楽が含む要素を単に「メロディー」とか「ハーモニー」などという言葉で表わしきれたりするものではありませんが、この言い方で僕らのやっている音楽や多くの方々が聴いている音楽のおおよそのことは近い感じで言えていると思います。

僕らは僕らだけで形成された価値観の世界から出発しましたが、
徐々に色々な音楽に触れるにつれ、多くの音楽家は、「メロディー」と「ハーモニー」という要素の比重がそこまで重くないということがわかってきて、ショックを受け続けてきました。

そこには、不思議というか当たり前というか、わかりあうことの出来ない壁があるんだと思います。
同じ音楽でも、聴いている場所・感じている場所が違うんですね。
よく3人でそんな話しをします。

多分、僕らの音楽に共感してくれる人の多くは、僕らと、音楽を聴く耳(感性)が似ているんだと思います。
| song writing | 22:50 | - | - |
偶然出来た曲に大した曲なんてない
「お風呂に入っていたら偶然にもこんな良い曲が出来たんです」なんていう類のセリフをよく耳にしますが、そんなセリフを聞くと「この人は天才なのではないだろうか」と思ってしまいますよね。

僕は冒頭に書いたようなセリフに触れると、かなりの違和感を感じてしまうんです。

曲は偶然には出来るものではなく、普段から作りたいと思っている人が作ろうとして出来るものだと思うのです。

僕は中学3年でギターを始めて、それ以来常に曲を作ろうと気を張ってやってきましたが、偶然に曲が出来た試しが有りません。
そういう技術(能力)がないだけだという話しでもありますが。

曲は意識的に作ります。意識的に出来て行きます。
確かに無意識でいるときにパッとメロディ(音楽と呼べるような音の要素)が浮かぶときもありますが、それだけではどうにもこうにも曲にならないし、音楽的にも大したものではありません。
5秒とか10秒とかの間、ずっと無意識でいて、そんな時に浮かんだ曲なんて、どこかで聴いたことあるようなものでしかないのです。
人間が過去の体験の外側に出るにはそれなりの意識的な努力が必要になってくると思うのです。
楽器を構えて、歌いながら試行錯誤を延々と繰り返すのです。


単純に、ファレミドー、なんて感じでメロディが浮かんだとしても、そこに付く和音は本当に様々な可能性があって、それを一つずつ可能な限りで検証していく必要があるはずなんですね。本来ならば。
例え、最初の段階でそういう部分も同時に頭に浮かんだとしても、1曲作るのに必要なアイディアなんてその何十倍も有るではないですか。その続きはどうやったって意識的にしなければ成り立ちませんよね。

とくに現代、これだけ音楽が溢れかえった時代に、自分なりの音楽を作ろうとするならば、並の努力じゃ出来ませんね。
本当に難しいですね。

そして、どんな歌詞を合わせるのか。
瞬間瞬間のイメージを少しずつ進めて、また繰り返し弾いて自分の耳で確認します。
同じ響きでもそのときによって感触が違って聴こえたりする。
視覚芸術のようにパッと一瞬で捉えることが出来ない。

歌詞は、言葉だから、すごく具体性がある。
嫌でも意味が付いてくる。

歌詞の意味性や無意味性、歌詞と歌詞の関係、音と歌詞の関係、メロディと非音楽時に使われる言葉の音程の流れとの関係、言葉とその響きのイメージの関係、譜割、音の長さと繰り返しの数、曲と曲の関係、曲や歌詞、タイトル、アルバムなどの象徴や概念。それらが統合されたときのイメージ。

段々話がずれてきましたが、曲を作るということは、もう本当にいろいろいろいろ考えることがあって、楽しいです。
| song writing | 23:35 | - | - |
ものの構想をし始める時


構想のはじまり

もう少し整理できているときにまた書きます。
| song writing | 00:35 | - | - |
作曲をするということ
作曲にあたって重要だと感じることについて

〈目的〉は「良い曲を作る」で、
〈方法〉は以下に記します。

断っておきますが、以下、僕が普段思っていることを私見でだらだらと書きます。
人によっては読んで何かを得るかもしれません。
そういう人がいればいいなぁと思います。


【「技術」にまかせることの難しさ】

理論・知識など技術的に長けている人が良い曲を作るかというと、全くそんなことはありません。もちろん人や状況によりますが、多くの場合、音楽理論は曲を作るときの足かせとなっています。
なぜなら、音楽理論とは、「普通ならこうする」という技術論でしかないからです。理論が身についている人は、中々その外側に出にくい。
音楽理論を学ぶなら、あくまで一歩引いて冷静に、そして疑いつつ学んでください。
そういうものを学ぶうえで、一番怖いと思うのは、《教えられることが「自分の耳で感じること」を忘れさせる》ということです。
音の感覚(色や景色)は、人に習うのではなく、自分で感じた方が絶対に良いと思います。
例えば、「こういうコード進行は、これこれこうなので「安定」です。」とか、「この音はこういう場合「かなしい」感じになります。」などと言葉で言われたのをそのまま覚えると、自分の感覚がその言葉の外に出られなくなる気がしませんか。
それよりも自分で聴いたり弾いたりして、その結果感じたものを強いて言葉で言うなら「安定」とか「かなしい」とかなのかなぁってなった方が、何倍も自分のためになりますよ。きっと。
音楽理論を学ぶことは、悪い意味で、自分という人並みな存在をもっと人並みにしてしまいます。人が規則によって平均化されてしまうのです。
世の中に良い曲より駄目な曲や同じような曲(つまらない曲)の方が圧倒的に多いのも、これが一つの要因と考えています。とにかく、僕はこれについていつも不思議に思うのですが。
他にも色々と原因があると思います。

話しを戻しますね。

かといって、全くの知識なしに作るのも酷です。
まずは、自分で音を感じて、自分なりの理論・理屈を構築し、それに沿って音楽を構築してみたらいかがでしょうか。
そして、どんな時でも過去の自分の外側に出られなくならないように意識をしなければいけません。
チューニングが狂ってたって、リズムがあってなくたって、和音がぶつかっていたって、それが悪いだなんてことはないんですから。
自分なりの確かな耳を持つことのほうが余程重要です。

まずは、その壁を乗り越えてみてください。
次の壁はこの後の項にまかせます。

以上、作曲をするということと音楽理論を学ぶということの関係について大きな誤解をしている人が多いのではないかと思って、書きました。
僕の考えを信用するかどうかは読んでいる方にまかせます。


【「感情」にまかせることの難しさ】

感情とは、無意識的な感覚下での意識の働きとでもいいましょうか。言葉にするのが難しいですね。
以前、「理論や技術を知らなくても曲は作れる」と書きました。
一時的な独創性なら感情で生まれ得ると思います。
しかし、曲を作り続けていくと、やがて過去の自分と対峙するときが来るでしょう。これは、作り続ける者にとって必ずぶつかる大きな壁です。
特に感情任せで曲を作ってきた者にとって、次なる感情をひたすら待つしかない(逃げ道となる知識がない)ことや、自分の中に無意識的にある「良いと思う」感覚が、過去の自分と似た(同じ)ような感情で、作った曲の数もそれなりになってくると、過去の自分との違いが見出せず、堂々巡りになりやすいというのがあります(中には幸か不幸かそれを気付かない人もけっこういますが)。

ただ、「一切感情を入れずに技術だけで作りました」っていう曲よりは全然ましですけどね。
まあそんなのもありえないか。
何かしらの技術に対し、感情(感性)で判断するわけだし。
内から出てくるっていうのとは違いますが、何かしらの判断が下されるという意味で、一切感情がない曲なんていうのはないですよね。
「マンネリ」の壁を上手く乗り越えられるならば、ずっと感情的に作っていくのが一番ですね。上ではそれが難しいと書いたんですけど。
では、その感情を出すための土台の作り方は如何にすればよいか。
それを次の項に書きます。


【自分を求めて】

先ほど、「人並みな自分」と書きましたが、人はみなそれぞれ感じ方も考え方も違うという意味では、一人一人に「個性」がありますよね。

以下、僕のスタンスを書きます。

僕に個性があるとすればそれはどこか。

僕としては、「音楽を聴いて《自分が》良いと感じる部分」はかなり重要な個性になりうると考えています。僕の場合、既存の音楽にかなりの不満があって、それに対する自分なりのアンチテーゼとしての表現っていうのが絡んでくるんですけど、まあそれを話し始めるとややこしくなるので今はおいておきます。

その個性は唯一無二である必要はありません。
自分が音楽で表現する以上、自分で好きだと思える音楽を作っていきたいではないですか。そういう前提で話します。
その方法として、簡単ですが、僕は好きだと思えない音楽や感じない音楽を自分の中に入れないことにしています。意識的に。
(これは視界を狭くするという危険性を伴いますが。)
逆に気に入った音楽や感じる部分があれば、自分に入れようと何度も聴きます。
それを繰り返していると〈自分の好きな感覚で溢れた自分〉が出来上がる気がするのです。
結果、統合された自分が形成されるのではないでしょうか。

この話しだと、僕は一体、表現に「アイデンティティ」を求めているのか、それとも、「好きな感覚・良いと思う感覚の表現」を追求しているのか、どっちなのかはっきりしませんよね。
そうなんですよ。
はっきりしない自分がいます。
この問題は前の記事でも言ったようにとても難しい問題です。

音楽をやる理由なんて、あまりにもはっきりしないことですから。

「好きな自分作り」から、話を繋げますが、先ほど「自分なりの理論・理屈を構築したらどうでしょうか」と書きました。好きでない音楽の理論も、やはり学ぶ必要はないと思うのです。
いや、目的が違うなら全然構わないのですけどね。

「好きな自分作り」も未来に広げていかなければ進まないわけで、それは、好きかどうかわからないものに触れていく必要性があるわけですけど。また話しが矛盾してしまいましたが。

作曲するためには、何かを身につけなくてはならない。
しかし、それが時に足かせとなる。
パラドキシカルなことが多く、難しいですね。


今日買ったホーザ・パッソスの1stアルバムを繰り返し聴きながら。
とってもいい声。好きだなぁ。


Rosa Passos 『Recriacao』1978年
| song writing | 02:31 | - | - |
変化しない音
作曲についてもう少し書きます。

先日の話題と少し重なりますが、今日は「変化しない音」について書いてみたいと思います。


曲を作るときに、まず、曲の出だしとなる好きなコードを何でもいいので、一つ弾いてみます。その中のどれでもいいので、ある一つの音程を意識してみます。その音程を意識しながら次のコード次のコードと曲を進めてみてください。すると自然と良い響きのコード進行が出てきます。

このように意識的にやらなくても、無意識的に一つの音程を意識しながら曲を作っていることが多いと思います。
どうしてかといわれれば、そうやって作ると心地よく感じることが多いからとしか言えませんが。
どうしてなんでしょうかね。


Lampの曲を例に挙げて話すのは気が引けますが、ここを見ている人が共通して聴いている音楽ということで、お許しください。

例えば、Lamp『恋人へ』収録の「ひろがるなみだ」と言う曲。

2番の「窓際の席に座り込んで 僕は何に想いを馳せよう ひとりきり」の間中ずっと、後ろでツーとバイオリンの音が同じ音程で鳴っていると思います。
この曲のこの部分のキーはD(Dの構成音はレ、ファ♯、ラ)で、ずっと鳴っているバイオリンの音程は三度の音のファ♯です。
この間、和音(コード)は変化しているのに、聴いていてそれほど不自然に聴こえるところはないと思います。

もう一つ例を挙げると、Lamp『木洩陽通りにて』収録の「紙魚だらけの唄」。

2番の「曇り空 閃き熱り立つ午後を」の間、うしろでウーという感じの声が聴こえると思います。
この曲のこの部分のキーはAm(Amの構成音はラ、ド、ミ)で、ずっと鳴っている音は五度のミの音です。

いかがでしょうか。
この二つの例は、どちらもずっと鳴っている音程が実際に奏でられていて、わかりやすい例だと思います。
奏でられているいないは別として、おそらく多くの曲の様々な部分にこういうことが当てはめられると思います。

ですから、いかに周りの音を変化させて聴かせられるかが、勝敗の分かれ目になります。※音楽に勝ちも負けもないですけど。

僕がこういう要素を多く感じ、素晴らしいと思う作曲家が、ブライアン・ウィルソンとトッド・ラングレンです。
二人に、聴いていて感動する曲が多いのは、そういう部分が多いからなのかなぁなんて思ったりもします。


Todd Rundgren 『Runt. The Ballad Of Todd Rundgren』1971年

そういうところを意識的に聴いてみるのも、また一つの音楽の楽しみ方ではないでしょうか。

最後に、曲を作り続けるならば、そればかりのマンネリ化は避けなければいけないと自分を戒めておきます。

| song writing | 13:34 | - | - |
音の響きと流れについて
先ほど、カエターノ・ヴェローゾを聴いていて、作曲について、とりわけ音の響きと流れについて考えていました。

人が音楽を聴いて心地よく感じる時はどういうときなのか。

様々な時があると思いますが、今日は、自分なりに今まで考えてきたことを書いてみたいと思います。


基本的に音楽には和音(コード)の流れがあります。

僕は「その調(キー)の中のどんな位置の音が響いているか」ということと「前後の和音の関係やそこから生み出される流れ」の2つがとても大切なのではないだろうかと考えています。

今日はその後者について。

たまにNHKの子供向けの番組でクレイ・アニメをやっていますよね。ピングーみたいに粘土を動かして作るアニメのことです。
それでよく使われる手法なんですが、
例えば、丸い輪になった粘土があるとします。それが最初はドーナツだったのに、次の瞬間それが変化して、ドーナツが月になってしまいます。また次の瞬間、その月がバナナになっています。そしてその次には、バナナの皮が剥かれて中から猿が出てきます。実際こんなに単純じゃないですけど、こんな感じで粘土がどんどん変化していって面白みをつけているのですが、この変化する前と変化した後のものに何の共通性もなかったら子供は喜びませんね。けれども、ドーナツが月になったらそれはどちらも「丸い」し、月がバナナになればどちらも「黄色い」ですよね。バナナを食べるはずの猿が、バナナの中から出てきたら(子供レベルでは)面白いですよね。

例え話が、長い上にあまりいい例ではない気がしますが、和音の流れも似たようなことがあると思うんです。

ちょっとこれを見てください。



これはLampの1st『そよ風アパートメント201』収録の「街は雨降り」という曲の1番の途中の歌詞とコードを書き出したものです。字が下手ですねぇ。
※keyがCと書いてありますが、実際ここの部分でC調になっているのは、はじめのF△7のみで、あとは転調してキーが変わっています。

では、次、こちらです。これらのコードを順番に並べたもので、その構成音を見てください。



赤で囲ったのは前後の和音で共通している音程です。上の段でも下の段でも、必ず前後の和音がお互いに二つずつの共通した音程を持っています。

僕は和音は景色を作り出せるものだと考えているのですが、
この曲のこの部分は、〈前の音の印象をどこかに残しつつ、移動した音が次の景色にちょっとした変化をもたらす〉という試みをとりわけ強く打ち出した部分です。
これは、僕の一つの主張であり、問いかけであり、挑戦でした。

ブライアン・ウィルソンの作る音楽もこういう感じがしますね。

もちろん、理屈ではなくそれを演奏したときに美しくそして心地よく感じたから、自分たちのオリジナル曲としてレコーディングしたわけですけど。


そして、今日のテーマから少しそれますが、この曲のこの部分についてはもう一つ面白いことがあります。
聴いていてわかると思いますが、香保里さんの歌っているメロディーの起伏があまりにも少ないんですね。ここは。
ほとんどメロディーが上下に動きません。

実はこの間ずっと、香保里さんの歌っているメロディーはギターの3弦で鳴っている音と同じ旋律をたどっているのです。ちなみにギターはハイコードで弾いていて、どれも7フレットから12フレットの間でコードを押さえています。

これは、アントニオ・カルロス・ジョビンの作曲法に影響を受けました(っていうほど僕は方法論をわかっていませんが)。
ジョビン作の「Samba De Uma Nota So(One Note Samba/ワン・ノート・サンバ)」はそんなに好きな曲ではないのですが、ジョビンのそういった試みが試されている曲の中の代表といえるでしょう(タイトルからして)。

音楽の心地よさというのは人それぞれだと思いますが、僕は変化しない音がある音楽を聴いたときに、それを感じることが多いようです。


以下、曲を作るときの大まかな流れを書いてみます。作曲に挑戦しようとしている人は、良かったら参考にしてみて下さい。

1 「少し冷たい」と歌いながらギターでコードを弾いてみる。Fのメジャーセブンスの音(ミの音)が心地よい(その時の自分の気分で)。
2 「今朝の空気」という部分の旋律もまた「少し冷たい」と同じ音程にしたいが、その音を次の和音の中のどこの音とするか(和音の構成音でなくても響きがよければ何でも良いです。ただ、はじめは構成音の中から選んだ方がやりやすいです)。
3 とにかく普通の響きじゃつまらないと思う(ここが重要です!)
4 ここで、F♯m7のセブンスの音も同じミの音だと思い、弾いて歌ってみる。すごくいい感じ。
5 コードが兇ら垢悵榮阿靴燭っているので、移動させる。ということで、「空気」の部分のコードはB7で旋律も半音下げる。

という感じです。
これだけを考えるのに、何週間もかかることもあります。


ということで、『そよ風アパートメント201』未聴の方は是非。
| song writing | 22:44 | - | - |
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