2018年5月15日
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音楽評論・音楽批評について

「自分の人生で音楽評論に期待するものなんて最早何一つない。リスナーとしても表現者としても。それよりも実際にちゃんと音楽に耳を傾けて聴いている人の心の感想の方が余程興味があるし、価値を感じる。」

「音楽も評論もそれが仕事になってしまうととたんに駄目になるんですね。」

などとツイッターに書きました。

以前、僕はツイッターにこうも書いています。

「批判や批評が良い文化を育むことも大いにあると思う。というか、それがないとどんどん駄目な文化になっていく。音楽も、駄目なものは駄目とみんなが言っていける方が余程健全だと思う。ものを作る人は最終的には作品で勝負し、結果売れたかどうかではなく、自分が満足出来たかどうかが大切。」



僕自身は、普段、音楽を言葉で「語ることの不自由さ」も、「語られる事の不自由さ」も両方感じています。

まず、僕は「音楽」と「文章や言葉」について言えば、圧倒的に「音楽」に興味がある人間です。
それは、「音楽」があまりにも魅力的だからだと思う。僕にとって。
そうじゃない人もいるのは知っていますが、話しを進める上でその前提は重要です。


「語ることの不自由さ」に関して言えば、今聴いている音楽がこんなにも素晴らしいものなのに、僕が(例えばブログやコラムなどで)文章で書き表そうとするとなんて陳腐なものになってしまうんだろうと感じますし、また、自分が大好きな音楽に関する誰かの文章なんかを読んでも、その音楽を聴いて得られる感動と比べるとこれっぽっちも感じないものなんですよね。
ちなみに、ロック系は読むにも値しないようなくだらないのが多い。子ども相手と割り切っているのか何を書いているんだかという感じ。ブラジル系は表現力不足。ロック系に比べると、皆かなり真面目に書こうとしているんだけど、言葉がもともと持っている力の限界が音楽で表現されたものに対し足りてないという感想が多い。ここは特に個人的な感想です。

話しを戻しますが、「音楽」に比べて、「その音楽に関する文章」がいかにつまらないものか、と感じているんです。


また、「語られる事の不自由さ」に関してですが、
僕は、自分たちの音楽について、誰が褒めようが貶そうがそれは自由だと思っています。
但し、それはあくまでその人の意見(として皆さんにも捉えてもらいたい)。積極的な意味でも消極的な意味でも。
勘違いしないでほしい点は、
評論・批評は、常に、その書き手が、自身の感性に根ざしたものであるべきで、その前提であれば、どんなに有名な批評家であろうと素人であろうとその価値は全く同じだということです(少なくとも僕にとっては)。
どこかの雑誌にどう書かれていたとか、そんなものは何の客観性もなく、
あくまでそれは例えば一雑誌の一ライター、もしくは小さなサークル内での感想文であるということです。オーバーな話しではなく。
それは、自分の大好きな音楽の魅力を他人に伝えようと一生懸命に文章を書いたことがある人ならわかるはず。
一個人の解釈が、さも客観的な評価のように広がっていく事に違和感を感じずには居られません。

昔は、例えば音楽雑誌等に掲載される事に対する小さな憧れが自分の中にありましたけど、今は不思議なほどそういう気持ちがなくなっています。
恐らく、いくつかの経験とともに世の中の色々な現実だとか大人の事情だとかを知り、それまでに自分が抱いてきた、言ってみれば見誤った価値観が自分の中で崩壊したのだと思います。

僕は、自分たちの音楽が掲載された文章を読んで、そのライターの感想ということでいつも読んでいます。
それ以上でもそれ以下でもなく。
そのレベルで賛否を受けいれています。
大体、今まで僕らはそういうメディアに使うお金なんてなかったから雑誌にもほとんど載ったことないし、逆にいうなら、どんなメディア媒体にせよ、僕らを載せてくれているところはどこも良心的というか、(その姿勢は本来メディアとして基本的なことだと思うのですが)音楽を評価して載せてくれているところばかりで、世の中の現実から比較してみるならば、心が和むような存在であったわけです。



僕は自分が既に所有していて何度も聴いている音楽についての評論や批評を読んだりすることは基本的にありません。
食べログでチェックして訪れたお店の料理を食べながら、人の評価を知るためにわざわざ食べログ内の口コミを読んだりはしませんよね。
その食事を自分が堪能すれば良いだけの話しですから。
音楽も同じです。
せいぜい、歌詞やクレジットを眺める程度です。


じゃあ、評論・批評は必要ないかというと、そんなことはないと思うわけです。

「自分の人生で音楽評論に期待するものなんて最早何一つない。」というのは、音楽メディアの評論のことを意味していて、
以前の発言として冒頭で引用しましたが、音楽に対する評論・批評自体の必要性は大いに感じています。そういうものが、音楽の発展に繋がっている面もあると感じます。
話しの流れからわかってもらえると思いますが、それも、(どんなメディア媒体であろうと)どこまでいっても個人レベルでの主観の評論・批評であって、それがどんなに積もろうともなお主観と客観の問題からは逃れられないわけですが、リスナー一人一人が自身の感性でもって批評していくようなムードを僕は歓迎しています。

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