2014年2月5日
Lamp 7thアルバム『ゆめ』リリース



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『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』
『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』

さて、この主張はどこまで物事の真実を捉えているでしょうか。
まず、この「かっこいい」という言葉は客観的なものと捉えて、まず間違いなさそうです。これがもし主観であった場合、冒頭の言葉自体がただの矛盾した文章というだけですので。※ここでの間違いには下で気付いています。
「なんてかっこ悪いんだろう」またはこの「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」という言葉、それ自体が、この発言者の主観のみで語られている場合はどうでしょうか。
また、客観的に「かっこいい」ことは客観的に「かっこ悪い」ことなのだ、という主張だとしたらどうでしょうか。

この言葉は何かというと、早川義夫が1969年に発表したソロ・アルバムのタイトルなんですね。

おそらく、こういうタイトルをつけるくらいの人なら、「かっこ悪い」という主張に客観性を求めていないと思います。物事の価値の違いを主張するだけのものすごく稚拙な主張だからです。

僕は、この人は次のように言っているんだと考えます。
「(客観的に)かっこいいことは、(主観で言えば)なんてかっこ悪いんだろう」
これが妥当な考え方でしょう。

さて、「かっこいい」とか「かっこ悪い」とはなんでしょうか。
それは事物に対する一定の価値観を与える言葉です。
一般的に、「かっこ悪い」という言葉は「かっこいい」という言葉に比べ消極的な意味で使われることが多いですね。


で、ここからが僕の考えなんですが、
客観的な意味において、「かっこいい」という言葉も「かっこ悪い」という言葉も同等に無価値である。
と思います。

この世の中に絶対的に「かっこいい」ものや「かっこ悪い」ものってあるかを考えてみてください。
もちろんないのです。
つまり「かっこいい」とか「かっこ悪い」などというものは客観的に決め付けられるようなものではないのです。

このような考え方を色んな価値基準にあてはめていくと、全ての「客観的な価値(や価値基準)」は崩壊します。
「客観的な価値(や価値基準)」の存在自体について考えていっても、やはりそんなものはないんだということに気づきます。
上では「かっこいい・かっこ悪い」という言葉を使って述べましたが、要はそういうことです。

では、客観的な価値というものがない中で、人は物事をどのように判断していけばよろしいのでしょうか。
客観的な価値基準を失った今、主観的な価値基準をどのように考えていけばよろしいのでしょうか。
それはとても難しいのですが、答えの一つに「直感」があります。
冒頭で主観は自由だと書きましたが、正にその通りだと思うのです。
主観で価値を主張されたら、もう何も言うことがありません。もちろん(ここまで述べてきたように)、そこに客観性を当てはめて対抗するわけにはいきません。

僕の考えからすると、
『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』
というのは、ほとんど何も言っていないことと同じなんです。
レベルとしては『僕はLampというバンドが好きだ』という言葉と同じ程度なんです。
僕ならこう言います。
『かっこいいこととかっこ悪いことは同じようなもんです』

このタイトルを付けた経緯や気持ちを推測すると、考えていることや感じていることは、僕とそんなに大差がないと思います。しかし、表現がやや足りなかった感は否めません。ただ、アルバムタイトルとしてのインパクトはものすごくあると思います。

何でこんなことを言ったかというと、このタイトルが気になっていたんですね。まだこのアルバムを聴いたことはないです。ごめんなさい。
いつか機会があったら聴きたいと思います。


作者がどんなことを言いたいか、
作者は主張を作品の中にどのような形でとじこめるか、
お互いがお互いを探る神経戦です。

是非、Lampの作品からも探ってほしいものです。
どの作品からもほぼ同じ答えが得られるはずですが、その際、全体を見渡すことを忘れないようにしてくださいね。


※書いた後、文章を読んで気づいたのですが、『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』という言葉が次のような場合について考察していませんでした。
「(主観で)かっこいいことは(客観的に)なんてかっこ悪いんだろう」
うーん。
僕が甘かったようですね。
こう捉えることによって、この主張にもう2つの答えが見えた気がします。
一つは、「俺ってなんてセンスのない、かっこ悪いやつなんだろう」ということをただ単に言っているとする考え方。この文章の意味をそのまま素直に受け取るわけですね。
もう一つは、上のように自虐的な表現を使うことによって、物事の真実を受け手に考えさせる表現とする考え方。

こう考えた時に、この作者が主張したかったのは、おそらく後者だろうと思います。

あ、これは!
先日のライブに来ていた人は覚えていただけていると思いますが、正に「夏に散らした小さな恋」の後のMCでこの曲について言おうとしていたことはそういうことなんですよ。

せっかくなので画像を載せさせて頂きます。


早川義夫 『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』1969年
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