2014年2月5日
Lamp 7thアルバム『ゆめ』リリース



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似ている絵っていっても別の絵です
今回の2つの酷似している絵画の事件は、「芸術の意義」や「芸術の創造性」、「創作することの意義」などについて、とても考えさせられますね。

この事件の結末とは別のところで、これらについて少し考えてみたいと思います。


まず、何かを真似することはなんら否定されるべきことではありません。実際、一切、模倣行為をしていない人なんていません。
以前このダイアリーで(たしか)書いた「創造は既知の何かと既知の何かの組み合わせでしか生まれない」ということ、このことが否定されない限りは真の創造(無からの創造)はないことになります。

僕は、むしろ、さも自分が無から独創したかのように模倣行為自体を否定したりする人や、そういった風潮を生み出す世の中の方に、歪みを感じてしまいます。

重要なのは、模倣の先にあるものでしょう。
つまり、結果(=出来上がった作品)です。

「その結果に心を動かされた人がいるならば、その作品は立派に一つの役目を果たしたわけです。」

と言いたいところですが、
このセリフをいう前に考えなければならないのは、作品の存在意義ですね。作品の「役目」って何ですか、となります。
芸術作品って何のためにあるのでしょうか。
作者のためでしょうか。それを享受する者のためでしょうか。その作品自体のためにあるのでしょうか。

実はここにはっきりした答えはありません。
これは、人生の意義に繋がっていきますが、そもそも人や作品の存在に意義なんていうものはないというのが、今の僕の考えです。
「なにかのために存在する」というのは人が頭の中で勝手に考え出したものだと思います。

人はなぜ芸術作品を作るのか。
答えはいくら探しても見つからないと思います。
でも答えを見つけたほうがずっと楽なので、見つけたつもりになっている人もたくさんいます。
僕もその一人です。

そうでもしないと、辛くてとてもやりきれないんですね。
生きることや作ることが。

何かしらの答えを見つけたつもりになって、自分を正当化しないと。


それにしても、個人の知的財産権、こと芸術作品に関しては、
声を大にして守るべきものかどうかちょっと疑問ですね。
「盗作」がなぜ駄目か。
「盗作」は何に対して悪なのか。

誰かがその絵を見て「良い絵」だと思うならそれでいい気がしますが。
良いと思った人のその気持ちはどこに向けたらいいのでしょうか。
「良い絵」なんていうのは完全に個人の主観なのですから。

また模倣された人はそんなに悪い気分になるでしょうか。
芸術家なんていうのは、自分が描いた絵が素晴らしければ、そこで満足するしかないと思います。
絵を描いて手に入るのは「富と名声」ではなく「自分の描いた作品」だと考えた方がいい気がしますが、いかがでしょうか。
真似された方、真似した方、それぞれにそれぞれの作品に対する気持ちがあって、またその周りの人々の理解がそれぞれある。芸術ならば、自己解決で充分な気がします。


僕は「盗作」を全肯定したいわけではありませんが、頭ごなしに「盗作」=「悪」だと決め付けてしまうと、この先、芸術文化がきちんとした方向に発展しないのでは、と思いました。

作品のあり方からもう一度考え直してみたいところです。
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