2018年5月15日
Lamp 8thアルバム『彼女の時計』リリース



 Lampメールマガジン「灯通信」
登録はこちら
メルマガ登録・解除

読者登録規約
powered by まぐまぐ!
 

音楽レーベルBotanical House



生い立ちからバンド結成、
そして現在までの経緯。


試聴 SoundCloud

無人島に持っていく10枚。



染谷大陽 twitter

CATEGORIES
Lamp ---facebook






Lamp Official Website
CALENDAR
S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< July 2019 >>
ARCHIVES
SPONSORED LINKS
MOBILE
qrcode
<< 佐々木昭一郎作品の放送 | main | 永井の弾き語り >>
作曲をするということ
作曲にあたって重要だと感じることについて

〈目的〉は「良い曲を作る」で、
〈方法〉は以下に記します。

断っておきますが、以下、僕が普段思っていることを私見でだらだらと書きます。
人によっては読んで何かを得るかもしれません。
そういう人がいればいいなぁと思います。


【「技術」にまかせることの難しさ】

理論・知識など技術的に長けている人が良い曲を作るかというと、全くそんなことはありません。もちろん人や状況によりますが、多くの場合、音楽理論は曲を作るときの足かせとなっています。
なぜなら、音楽理論とは、「普通ならこうする」という技術論でしかないからです。理論が身についている人は、中々その外側に出にくい。
音楽理論を学ぶなら、あくまで一歩引いて冷静に、そして疑いつつ学んでください。
そういうものを学ぶうえで、一番怖いと思うのは、《教えられることが「自分の耳で感じること」を忘れさせる》ということです。
音の感覚(色や景色)は、人に習うのではなく、自分で感じた方が絶対に良いと思います。
例えば、「こういうコード進行は、これこれこうなので「安定」です。」とか、「この音はこういう場合「かなしい」感じになります。」などと言葉で言われたのをそのまま覚えると、自分の感覚がその言葉の外に出られなくなる気がしませんか。
それよりも自分で聴いたり弾いたりして、その結果感じたものを強いて言葉で言うなら「安定」とか「かなしい」とかなのかなぁってなった方が、何倍も自分のためになりますよ。きっと。
音楽理論を学ぶことは、悪い意味で、自分という人並みな存在をもっと人並みにしてしまいます。人が規則によって平均化されてしまうのです。
世の中に良い曲より駄目な曲や同じような曲(つまらない曲)の方が圧倒的に多いのも、これが一つの要因と考えています。とにかく、僕はこれについていつも不思議に思うのですが。
他にも色々と原因があると思います。

話しを戻しますね。

かといって、全くの知識なしに作るのも酷です。
まずは、自分で音を感じて、自分なりの理論・理屈を構築し、それに沿って音楽を構築してみたらいかがでしょうか。
そして、どんな時でも過去の自分の外側に出られなくならないように意識をしなければいけません。
チューニングが狂ってたって、リズムがあってなくたって、和音がぶつかっていたって、それが悪いだなんてことはないんですから。
自分なりの確かな耳を持つことのほうが余程重要です。

まずは、その壁を乗り越えてみてください。
次の壁はこの後の項にまかせます。

以上、作曲をするということと音楽理論を学ぶということの関係について大きな誤解をしている人が多いのではないかと思って、書きました。
僕の考えを信用するかどうかは読んでいる方にまかせます。


【「感情」にまかせることの難しさ】

感情とは、無意識的な感覚下での意識の働きとでもいいましょうか。言葉にするのが難しいですね。
以前、「理論や技術を知らなくても曲は作れる」と書きました。
一時的な独創性なら感情で生まれ得ると思います。
しかし、曲を作り続けていくと、やがて過去の自分と対峙するときが来るでしょう。これは、作り続ける者にとって必ずぶつかる大きな壁です。
特に感情任せで曲を作ってきた者にとって、次なる感情をひたすら待つしかない(逃げ道となる知識がない)ことや、自分の中に無意識的にある「良いと思う」感覚が、過去の自分と似た(同じ)ような感情で、作った曲の数もそれなりになってくると、過去の自分との違いが見出せず、堂々巡りになりやすいというのがあります(中には幸か不幸かそれを気付かない人もけっこういますが)。

ただ、「一切感情を入れずに技術だけで作りました」っていう曲よりは全然ましですけどね。
まあそんなのもありえないか。
何かしらの技術に対し、感情(感性)で判断するわけだし。
内から出てくるっていうのとは違いますが、何かしらの判断が下されるという意味で、一切感情がない曲なんていうのはないですよね。
「マンネリ」の壁を上手く乗り越えられるならば、ずっと感情的に作っていくのが一番ですね。上ではそれが難しいと書いたんですけど。
では、その感情を出すための土台の作り方は如何にすればよいか。
それを次の項に書きます。


【自分を求めて】

先ほど、「人並みな自分」と書きましたが、人はみなそれぞれ感じ方も考え方も違うという意味では、一人一人に「個性」がありますよね。

以下、僕のスタンスを書きます。

僕に個性があるとすればそれはどこか。

僕としては、「音楽を聴いて《自分が》良いと感じる部分」はかなり重要な個性になりうると考えています。僕の場合、既存の音楽にかなりの不満があって、それに対する自分なりのアンチテーゼとしての表現っていうのが絡んでくるんですけど、まあそれを話し始めるとややこしくなるので今はおいておきます。

その個性は唯一無二である必要はありません。
自分が音楽で表現する以上、自分で好きだと思える音楽を作っていきたいではないですか。そういう前提で話します。
その方法として、簡単ですが、僕は好きだと思えない音楽や感じない音楽を自分の中に入れないことにしています。意識的に。
(これは視界を狭くするという危険性を伴いますが。)
逆に気に入った音楽や感じる部分があれば、自分に入れようと何度も聴きます。
それを繰り返していると〈自分の好きな感覚で溢れた自分〉が出来上がる気がするのです。
結果、統合された自分が形成されるのではないでしょうか。

この話しだと、僕は一体、表現に「アイデンティティ」を求めているのか、それとも、「好きな感覚・良いと思う感覚の表現」を追求しているのか、どっちなのかはっきりしませんよね。
そうなんですよ。
はっきりしない自分がいます。
この問題は前の記事でも言ったようにとても難しい問題です。

音楽をやる理由なんて、あまりにもはっきりしないことですから。

「好きな自分作り」から、話を繋げますが、先ほど「自分なりの理論・理屈を構築したらどうでしょうか」と書きました。好きでない音楽の理論も、やはり学ぶ必要はないと思うのです。
いや、目的が違うなら全然構わないのですけどね。

「好きな自分作り」も未来に広げていかなければ進まないわけで、それは、好きかどうかわからないものに触れていく必要性があるわけですけど。また話しが矛盾してしまいましたが。

作曲するためには、何かを身につけなくてはならない。
しかし、それが時に足かせとなる。
パラドキシカルなことが多く、難しいですね。


今日買ったホーザ・パッソスの1stアルバムを繰り返し聴きながら。
とってもいい声。好きだなぁ。


Rosa Passos 『Recriacao』1978年
| song writing | 02:31 | - | - |
スポンサーサイト
| - | 02:31 | - | - |