2018年5月15日
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音楽を読むこと
荒俣宏の『目玉の思想と美学 図像学入門』(集英社文庫)を買って読んだり、最近、若桑みどりという人の『イメージを読む』(筑摩書房)をパラパラと立ち読みをしたりして、「図像学」というものに少し興味を持っています。
薄々そういうものの存在を感じていて、ちょうど興味を惹かれたというべきでしょうか。


荒俣宏『目玉の思想と美学 図像学入門』(集英社文庫)

図像学というのは、
・絵画や彫刻に表されたパターンや意味を解釈する学問
・絵画にこめられた要素を読み解くための学問
・キリスト教の絵画や建築物に残された美術に隠されたさまざまな寓意的・象徴的な意味を見いだす学問
などと、「図像学」で検索すると上のようなことが書かれたウェブサイトに当たります。

図像学では、絵を「見る」のではなく「読む」のが基本、だそうです。
図像学がどういうものなのか大体分かりますでしょうか?
詳しくは専門のサイトや本を調べてみてください。

これについて様々なことを考えてしまうわけです。
とりあえず、絵に関してはおいといて、そこから僕が考えたこと――「音楽」に関して少し書いてみたいと思います。

図像学という学問の存在からわかるように、絵は、見ることも出来るし読むことも出来る。
「読む」というのは、普通、文章でやることですね。
文章は、普通、一つ一つの言葉や事柄に意味があり、関係性があり、解釈が容易であるものです。
逆に言えば、「読める」ためには、要素でも部分でも全体でも、とにかく何か解釈するための意味を持っていることが必要というわけです。

僕が思うのは、文章や絵を読むように、音楽も読むのか(読めるのか・読むべきなのか)ということです。
このことは、音楽を作るときに、ものすごく考えることなんです。

実際、自分で音楽を選択して聴くようになってから、多くの音楽を「聴き」ながらも「読んで」きたように思いますし、多くの音楽(曲)を「感じ」ながら作り、同時に「読み」ながらも作ってきたように思うのです。

どこから話せばいいんだろう。

具体的な例を出して、考えてみます。
今、僕はSimoneの「Valsa Rancho」という曲を聴いている。
瞬間瞬間の音が耳という器を通し、脳に入ってくる。脳がこの音楽の音を捉える。
僕がこれを何かとして捉え具体性を持って認識した時、僕の中でそれはこの曲を「読んだ」ことになる。
具体性とは、なんでもいいのですけど、例えば、「ミナスっぽいコードを使っている」「メロディが降りていった」とか。
『捉えられていないけど「感じた」状態』のその次の状態。
音を、音そのものではない何かに変えて解釈している状態。
物理的な刺激を受けて、言語化などして反応している状態。
これが音楽を「読む」ということの一つであると思います。

音楽を「捉える」ことのわかりやすい例が、「譜面におこす」という行為でしょう。
音楽を「読む」ための「捉える」ということ。その中でも「譜面におこす」ということは、最も客観性を持った方法であると思われます。他にも色々な記号化があります。
そして、それらの記号たちに意味を付けていくのが、音楽理論の構築だと思うのです。

音楽を「読めない」人がいたとしたら、その人にとって音楽を作ることは、非常に困難を伴うことだと思います。
実は、「音楽を読む」ということは音楽が生まれるにあたっては、避けられないことだと思うのです。

しかしながら、また、音楽を「読んでばかりの人が作る音楽はつまらない」のです。
これは、最近僕が感じていることなのです。
最近の日本の音楽は、読んでばかりいる上に読みが浅く、かなりつまらないですね。
一絡げに言うのもなんですが、ひどくそういう傾向にあります。

音楽は、絵画においての「図像学」のように、「読む」という行為が容易ではありません。
それは、音というものが、感じることは出来ても、それ自体では意味を持たないので、解釈が困難なのです。
音楽が他の芸術と大きく違う、音楽の特徴です。

そして、僕らは、音楽に関する色々な読み物を読まされてきた世代なのです。
洋楽でも、日本盤CDを買えば、解説やら対訳やらが付いていてついつい目を通してしまいます。
と同時に、自分でも実際にCDをかけ、感じ、自分なりにも色々と音楽を「読んで」来たのです。
音楽作品というのは、こういった要素から多大なる影響を受けて、作られるのです。
僕らは、ビートルズがビーチ・ボーイズがサイモン&ガーファンクルが、、、どんな活動をしてどんな音楽を作ってきたか、「図像学」的に言葉で捉え解釈することも、ただその作品を聴き、解釈することも可能なのです。


図像学的観点だけで、音楽を構築することも出来るでしょう。
しかし、それは、芸術の歩むべき道ではないように感じます。
60年代末、ブラジルで起こったムーヴメント「トロピカリズモ」のことを書いた本について、以前このブログに書きましたが、その本の中にあるカエターノが言っていたこと、それは僕が今ここで言おうとしていることととても似ているんです。こちらの記事の最後の部分です。
トロピカリズモがやろうとしていたことの重要性ももちろんわかりますし、こういうことは好きですが、でももっと重要な大切なことがあるように感じています。

長くなったので、また今度書きます。
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