2018年5月15日
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ノスタルジア
「ノスタルジア」は、過去を懐かしむことであり、現在の芸術においては、まったく前進がないものとして、語られることが多いのですが、
僕は、むしろ、「ノスタルジア」こそ、前進への門(第一歩)であると思います。

僕等は、しばしば、音楽の中に「ノスタルジア」を見つけ、それに心を動かされます。
「ノスタルジア」に出逢ったとき、音楽をはじめとする芸術の核はそこにあるようにさえ感じます。

話しを逆から進めると、
我々が「未知」の何かに挑むとき、それ自体が行為者にとってまさに「未知」であり、ましてやそれが芸術であるかどうかなんて事は知りえないのです。その行為こそが芸術だという言い方があるかもしれませんが、それがあまりにも非現実的過ぎると思うのは、以下の通りです。
「新しさ」というのを文字の通りに捉えるならば(既知の何かの「組み合わせ」ではなく、真に新しいものを追求すること)、
『常に真に「新しい」ものを欲する行為者』にとって「新しい」ものは常に「未知」のもので然るべきで、よって、その創作行為の先にあるものは常に「未知」であり、その結果得たものが、偶然、「新しい」ものであったりなかったり、ということが繰り返されているはず、なのです。
このことから、『「新しい」ものを作るのが巧い』というのは誰かの勘違いか幻想か何かだと思うのです。
なぜなら、『常に真に「新しい」ものを欲する行為者』は、その手段を知りえないからです。そこに手段はないのです。
(芸術が「未知」に挑む何かとして語られるときの嘘っぽさ、胡散臭さはそこにあるような気がします)。

多くの場合の、さも「未知」の何かとの格闘の末、生まれたもののように語られるその虚栄は何なんでしょう。芸術のあるべき姿を皆で作り上げているのでしょうか。間違った当たり前が安易に罷り通っていて怖いですね。

真に新しいものを目指す行為は破壊行為に近いと言えましょう。そこには秩序はありません。
そして、人間は秩序がないものについて考えるのが非常に苦手です。秩序があって初めて理解があると言っても過言ではないと思います。
秩序付けの行為は、私たち生物が、生存のために身に付けたもっとも基本的な能力だと思うのです。混沌とした自然界を、私たちヒトは、言葉など意識的なものや無意識的な感覚、ありとあらゆる形で秩序付けて来ました。

「新しさ」というのを、別の面から(100%としてではなく、1〜99%の間で)捉えた場合、感じる「新しさ」は常に既存のものと既存のものとの「組み合わせ」で成り立っていると言えます。それについては以前書いた気がしますし、とにかく今日は置いておきます。

我々が知っているものは、すべて過去の体験の中にあり、それは時に「ノスタルジア」として、我々の心に強く響き、それは創作意欲・創作技術の一部となりえると思うのです。
各人それぞれが、少しずつ違う、或いは、全く別の「ノスタルジア」を持っていて、それを追求し掴もうとする行為、そこに芸術の一つの在り方があるように思えます。
少なくとも僕にとってそのことは「ものを創作する動機」となっています。

創作者は、決して「模倣」から逃れられず、また「模倣」に溺れることも出来ずに苦しんでいるのだと思います。

僕が何を言いたかったかと言いますと、
音楽聴いて、漫画を読んで、
「とても切ないです」と言いたかったのです。
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